准看護師として勤めていた頃、こんな場面に立ち会ったことがあります。
急で重篤な状態に陥り、病院に運び込まれた方がいました。知らせを受けて駆け付けたご家族に、担当した医師がこんな説明をしました。
「もし、万が一の状態になった場合、延命措置はどうしますか?」
突然の問いかけに、ご家族は言葉に詰まり、「え、え… うーんと…」かろうじて声に出した後は、黙り込んでしまわれました。医師は、「じゃあ、とりあえず、希望しますにしますね」とだけ告げ、そのまま次の別の説明に入りました。
私はその説明を隣で聞きながら、このご家族がきちんと医師の説明を理解しているのか、そもそも耳に入ってきているのか、とても心配になった記憶があります。
自分が最後に会った時がいつもと変わらず元気だった家族が、今想像だにしなかった状況に置かれている。これはドラマ?夢?急な知らせに、「想像だにしなかった状況」に置かれるのは、決してご本人様だけではなく、そのご家族も同じです。
現実として受け止められない状況が目の前に広がっている、混乱、困惑している上に、医師から専門的な説明をされても、すぐに選択や判断ができる状態からは程遠くなるケースがほとんどだと思います。
私は医療従事者ですが、仕事とプライベートは別物。
現場でこんな場面を何度経験しても、実際にこの運ばれてきた患者が自分の親だったら?子供だったら?そう思うと、血の気が引く思いがします。
医療の知識が、医療には携わっていない方に比べて多少なりともあったとしても、感情まではコントロールできないものだとつくづく思います。(これはあくまでも私ことですが)
「延命措置をしない、やめる」という決断をされたご家族が、ご本人様亡き後に、本当にこれでよかったのかと、
また、
「延命措置をする、続ける」という決断をされたご家族が、ベッド上のご本人様を前に、本当にこれでよかったのかと、
ご自分がした決断がご本人にとってどうだったのか、思い悩まれる姿も、多く見てきました。
命に答えはないものだと思います。正解も不正解もない。
だからこそ、「ご自分の命は自分で守る、決める」
これをぜひしていただきたいのです。
残されたご家族が、混乱や悲しみといった中でも、「これは本人が望んだことだから」と、最後には顔を上げて決断できるよう、ぜひ、「命の最期に受ける医療」について、ご自分の気持ちや意思を形に残すことをしていただけたらと思います。
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