コラム
- 故郷ってありがたい
- 先日Neoふくじま行政書士事務所事務所近くにて、「歩いて気軽に聞きに行こう」をコンセプトに、地域座談会を開催させていただきました。<div><div><div>稲沢市福島町は、私の生まれ育った故郷であり、現在自宅兼事務所を構えている所でもあります。</div><div>朝のゴミ出しに行けばたまたまご近所さんと顔を合わせてご挨拶、町内に唯一ある郵便ポストに行ったついでに近くの小学校(私も子供も通いました)の運動場で体育の授業中の子供達の様子を微笑ましく見たり、実家のワンコのお散歩に出れば、同級生のお母様から「早苗ちゃん!」とお声を掛けていただくこともあります。</div><div>まだ若かりし頃は、交通の便の悪さ、夜になると街灯もなく真っ暗、コンビニも近くにない、という環境に、「ああ、田舎はやだやだ!」なーんて生意気を言っていましたが、大人になり歳を重ねていくにつれ、故郷の良さが分かる気がしています。</div><div><br></div><div>稲沢市は、植木苗木の街としても有名ですが、もう一つビッグイベントが、尾張大國霊神社なおい神事、通称「国府宮はだか祭り」です。</div><div>神男に触って厄を落とそうと国府宮神社に集まった裸男達が激しくもみ合う姿は、テレビ中継で見ているだけでも思わずこぶしを握り締め、「早く(神男を)上げてあげて!!」とハラハラドキドキしてしまいます。</div><div>コロナの影響でしばらく中止となっていた、このもみ合いですが、今年のはだか祭りでは数年ぶりに行われ、私事ですが息子が小学生の時以来で参加しました。送り出す方は朝から準備に追われ(なんなら数日前のふんどしや足袋の買い出しから)、地区を出発してからも心配で不安で落ち着きません。なおい布の奉納だけならまだしも、もみ合いにまで参加してくると聞くと、帰ってくるまで気が気ではありませんが、当の本人は、唇は真っ青、ガタガタと震えながらも、「(神男に)触れたわ~!」と充実感満載のドヤ顔、全身ずぶ濡れになって無事に帰宅。そこからポカポカのお風呂に入らせ、ようやく母の役目は終わりです。</div><div>はだか男達は集団になって国府宮神社に向かうのですが、この時にお世話になるのもまた、地区の有志達とそのご家族で結成された世話人の方々。万が一のための救護車やお迎えの配車、軽食の準備、労いの夕食(宴会)の調整、など…</div><div>この方々のおかげで、はだか男は安心して参加できますし、送り出す家族にとっても頭の下がる思いです。</div><div>気の早い話ですが、我が家の息子、今年の久しぶりの参加ともみ合いの興奮、神男に触ることができた感激が忘れられないのか、来年も参加すると張り切っています。また、地区の世話人の方々にお世話になることになりそうです。</div><div><br></div><div>話は戻って、先日の座談会の後には、「早苗ちゃん、勉強になったよ!」「またこういうのやってほしい!」と、とてもありがたい感想、お言葉をいただき、感激いたしました。まだまだ勉強中の身である私のつたないお話を最後まで一生懸命聞いてくださった皆様に、心から感謝いたします。</div><div>「地域貢献」などという言葉を使うにはおこがましいですが、先祖代々お世話になっているこの地で、そして大好きなこの地で、地域の皆様のお役に少しでも立てるよう、今後も精進してまいります。</div><div><br></div></div></div>
- ~尊厳死と延命措置~
- 医療従事者として患者様や施設入所者様とお話する機会の中で、「私はね、食べれない、喋れない、動けないってなったら、もう何もしてほしくない、そのまま静かに逝かせてほしいわ」「延命は受けたくないわ」と、そっと胸の内を明かしてくださる方が多くいらっしゃいました。<div><br><div>では、「延命措置」とは何を指すのでしょうか?</div><div>「たくさんの管を入れて、たくさんの機械につながれている」というイメージを持たれる方もいらっしゃると思います。</div><div><br></div><div>一般的に「延命措置」とは、</div><div>・人工呼吸器</div><div>・人工透析</div><div>・栄養・水分補給</div><div>・血液循環の維持</div><div>・薬剤投与</div><div>が当てはまると言われています。</div><div><br></div><div>ここでよくご理解いただきたいのは、外傷や遺伝性の病気により、人工呼吸器や透析等の生命維持装置を使い生活されている方にとっては、この装置はただ死期を引き延ばすだけのものではない、ということです。</div><div>また、同じ「措置」であっても、それが回復を期待する「治療」目的であったり、急な病気や外傷からの「救命」の目的である場合もあります。</div><div>つまり、上記の5つを受けている=延命措置を受けている、にはつながらないということです。</div><div><br></div><div><div>さて、回復の見込みのない 命の最期が差し迫った終末期の患者様に対し、この、延命措置を差し控え、又は、中止し、人間としての尊厳を保ちつつ、死をむかえさせること。これが現在の日本では「尊厳死」と一般的に定義されています。</div><div>かつては、何としても命をつなぐ、という信念のもと、この延命措置が積極的に行われていた時代もありましたが、</div><div>近年では、QOL(クオリティ・オブ・ライフ 人生・生活の質)の観点のもとで、延命措置を差し控え、または中止して、自然な流れを死を迎える、この考え方に変わってきています。</div><div>命の瀬戸際に、なお、たくさんのチューブや機械につながれた患者様の身体的苦痛、それを見守るご家族の苦痛は計り知れないものがあります。</div><div>無理な延命を差し控え、または中止することで、その患者様の尊厳を守りつつ安心して最期を迎えられるように…</div><div>これが尊厳死という考え方です。</div><div><br></div><div>しかし、残念ながら、現在の日本では、この「尊厳死」に対する法整備がされていません。</div><div>つまり、「これをやったら延命」とか「尊厳死とはこういうもの」というはっきりとした取り決めがないのが現状です。</div><div>ですので、その措置が延命に当たるか、それを差し控えたり中止するか、ということも、原則として、医療現場で治療にあたる医師の判断ということになっています。</div><div><br></div><div>「命の終わり」に答えはないものだと思います。</div><div>「最期の最期まで命を大切にする」と考えた時に、延命措置は必要なものとする考え方もあると思いますし、</div><div>「できるだけ自然の流れに逆らわずに天寿を全うしたい」という考え方もあると思います。</div><div>どちらが正解、不正解でもない。正しい、間違っている、でもない。</div><div>ただ、</div><div>「ご自分の人生や命を最期まで大切にする、オトシマエをつける」という意味で、「命の瀬戸際に、どこまでの、どんな治療を受けたいか」 </div><div>ここに思いを巡らせ、できる限りその考えや意思・希望を形にして残す、ということを、ぜひしていただきたいと思います。</div><div>そのためにも、まずは正しい情報・知識と、使える制度や法律を知っていただくところから。</div><div>ぜひ行政書士をお役立てください。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div></div>
- ~まずは正しい情報から 「違い」を知る~
- 「安楽死と尊厳死って、違うものですか?」<div>尊厳死宣言書やリビングウィルのお話をさせていただいた際に、このようなご質問をいただくことがあります。</div><div>たしかに、どちらも耳にすることはあると思いますが、どう違うのか、言葉だけで判断するのは難しいところです。</div><div><br></div><div>この二つには明確な違いがあります。</div><div><br></div><div>まずは「安楽死」</div><div>これは、耐え難い苦痛を持つご本人の要請、要望により、医師が直接薬物を投与したり(注射や点滴など)あるいは、医師が処方した死に至らしめる薬物をご本人自身が体に取り込む(内服など)ことにより起こった「死」です。</div><div>まだ命の最終段階ではない、生きている・生きる状態にある方に対し、医師が、「死」を早める・迎えるための措置をとることで、結果的にその方の命を終わらせるものです。</div><div>この「安楽死」は、「生きている方の命を止める」という観点から、携わった医師が殺人罪などの罪に問われた案件もあり、一般的に日本では認められていません。</div><div><br></div><div>次に「尊厳死」</div><div>これは、病気やケガにより死が目前に迫っている場合や、意識のない状態が長く続いた場合に、ご本人が元気なうちに示していた希望や意思に基づいて、死期を引き延ばすためだけの医療措置を受けないで、時間の経過、自然な流れのままに受け入れる「死」のことです。</div><div>命の瀬戸際に、これ以上の措置をしても、回復し元気になることは考えにくく、心臓が止まるのを免れるだけ、という場面での選択肢の一つになります。</div><div><br></div><div>安楽死に関しては、海外では、条件や制限つきで法整備されている国もあり、私は以前、長く難病を患い、その苦痛に耐えきれず何度か自殺をはかったことのある日本人の方が、安楽死を望み、海外に行かれたという出来事をメディアで知りました。同伴されたご家族はご本人に対し、最期まで生きていてほしいと望まれていましたが、ご本人の意思はかたく、「もうこれで苦しまずにすむんだよ。やっと死ねるんだよ。」と。そしてご家族に最大限のお礼を伝える姿に、涙が止まりませんでした。</div><div>生きることの希望を失うほどのご本人の苦痛、大切な家族を失いたくないご家族の心情、どちらの立場を想像しても辛く、この状況を外野がどうこう言うことは到底できないと率直に思いました。</div><div><br></div><div>尊厳死に関しては、「何としても命をつなぐ」の考えのもと、延命措置が積極的にとられていた時代もありましたが、命の終わりが迫った状況でのたくさんのチューブや機械につながれたご本人の苦痛、それを見守るご家族の心理的負担、そしてご本人様の「尊厳」を守るという観点から、変化してきています。しかし、「尊厳死」に関して、現在の日本では法整備がされていません。また、医療の現場において、「どんな状態でのどんな措置が延命にあたるのか」というのは医師の判断によるところもあり、「この措置をしたら延命」という決まりもありません。</div><div><br></div><div>人の命は、いつ、どのように、何が原因で終わりを迎えるのか、誰にも分からないことです。</div><div>しかし、「死なない人はいない」 悲しく寂しい気分になりますが、これも現実です。</div><div>私も日々の生活の中で、ふとした時に、年齢を感じることも多くなりました。子供たちも成長しそれぞれが新しい家族も持つまでに、そして、両親の老いも目に見えて感じるようになりました。</div><div>確実に時間は積み重なっています。</div><div><br></div><div>ありきたりな言葉にはなりますが…</div><div>今ある命と向き合い、一日一日を大切に。</div><div>皆様の毎日がより穏やかで豊かなものでありますように。</div>
- ~こんな想いを込めました~
- 新人として支部や単位会の研修に出席した場や、お客様との初対面のご挨拶の場などで、名刺をお渡しさせていただいた時、「Neoふくじま行政書士事務所」という事務所名にご質問やご感想をいただくことがあります。奥田という名前も入っていない、何より、「Neo」「ふくじま」って??<div><br><div>「Neo」というのは、英語で、「復活」「リニューアル」「新しい」という意味があります。私自身が、医療従事者から行政書士へ、新しい人生に挑みたいという心意気を込めました。</div><div>そして…実は私が今使っている名刺には猫のイラストが入っているのですが、このホームページにも「看板ネコ」として採用している我が家の飼い猫の三毛猫の名前でもあります。こちらの「ネオ」は買い物先の駐車場でカラスに襲われているところを保護しました。それまで全くの「犬派」だった我が家に突然来た小さな小さな毛玉のような存在に、大の大人が揃った家族中が大騒ぎ。ご縁があってうちに来た子を死なせるわけにはいかないと、必死でお世話をしました。</div><div>「ネオ」という名前をつけたのは娘でした。</div><div>「今日から「新しく」うちの子よ」という、よろしくの挨拶も込めて、そして、大変失礼に当たるかもしれませんが、我が家が昔からの「ドラキチ」なこともあり、当時鳴り物入りで入団したばかりの根尾選手を一家で応援していたため、その名前をいただく形になりました。</div><div>看板ネコの「ネオ」の方は、元野良であること、もとより、自分が猫であることをすっかりなかったことにしているような態度とかわいさで我が家に君臨していますが、その呼びやすさ、愛着、そして、「復活」「リニューアル」という意味も込めたこの名前を、もし行政書士試験に合格して開業できたら、必ず事務所名にすると決めていて、合格への私の目標にもなっていました。</div><div><br></div><div>「ふくじま」というのは、「稲沢市福島町(ふくじまちょう)」という地名です。</div><div>自分が生まれ育ち、結婚し、自宅兼事務所を構えたこの地で、「地域の皆様のお役に立ちたい」という強い願いと目標を込めました。</div><div><br></div><div>名刺を見た方に事務所名の由来をお話させていただくと、「自分も猫好きです」とか「そういう意味が込められているんですね」など、会話が広がるきっかけになります。</div><div>改めて、我が家の看板ネコとのご縁、そしてこの地で開業することができたことのご縁に、感謝したいと思います。</div><div><br></div><div>この事務所名に恥ずかしくないサービスで地域の皆様にお役立ていただけるように、これからも日々研鑽を積んでいきたいと思っております。</div><div>これからもどうぞよろしくお願いいたします。</div><div><br></div><div><br></div><div><br><div><div><br></div></div></div></div>
- まずは想像するところから
- 開業から早4か月がたちました。「若くはない新人、気持ちだけは若く!」をモットーにたくさんの方のご指導・ご鞭撻賜りながら、日々奮闘しています。<div><br><div>この4か月の間に、座談会、講演会をやらせていただきました。</div><div>行政書士って何をする人?、医療従事者の私が行政書士を目指した理由、「その時に備える」ことの必要性と具体的な方法、などをお話させていただいています。</div><div>なにぶん、これまで大勢の皆様の前でお話をする機会など全くといっていいほどなかったので、内容や話し方が拙く、お聞き苦しいところも多々あったかと思いますが、参加してくださった皆様、一生懸命聞いてくださり、心から感謝です。</div><div>私は行政書士試験に挑戦するまで、そして合格後遺言・相続・終活をさらに掘り下げて勉強するまで、「法律」や「制度」というものに全く無頓着でした。<br></div><div>命の現場で働く中で、患者様のもつ疾患やそれに対する医療に関しては医療従事者として学ぶべきこと、日々知識や技術の研鑽が必要なことはたくさんありましたが、療養看護を安心して受けていただくための社会的資源や制度に関しては、「私が知らなくても、きっと誰かに聞いて、本人や家族がやっているだろう」と思っていました。命の最期を迎えられた方を病院や施設から送り出させていただく際にも、死後にまつわる各種手続きや葬儀、相続など「亡き後」に関してご家族にはこれからまだまだやるべきことがたくさんあるということころにまで、思いや考えがいたることもありませんでした。</div><div>今回この資格を取得し、日々勉強をする中で、医療や介護の現場で関連する法律や制度を知ること、知っておくことの必要性を実感しています。<br></div><div>座談会や講演会の終了後では、「勉強になったよ!」「知らないことが知れてよかった!」と、ありがたいお言葉をいただくことがありました。<br></div><div>だんだんと歳をとること、いつか最期を迎えることは、避けられない現実です。</div><div>しかし、避けられない現実の中で、安心してご自分の望む老後や最期を迎えるために、今のうちに、今だからこそ、できることがあります。</div><div>いつか起きるかもしれない災害とは違い、「いつか」「その時」は必ずやってきます。</div><div>ご自分やご家族の老後や最期を「想像」することは時に寂しく勇気が必要ですが、想像することで、「こうしたい」「こうしてほしい」という意思や希望が生まれ、「では、そのために必要なことは何か?」「使える社会的資源や制度は何か?」を考えるきっかけになります。そして、そのために、「正しい情報を得ること」が、まず最初に必要となります。</div><div><br></div><div>今後も、座談会や講演会等を通して、皆様が正しく必要な情報を得るためにお役立ていただけるよう、日々精進してまいります。<br></div><div><br></div></div>
- 「黙っててごめんね」
- 令和5年5月7日に、稲沢市勤労福祉会館にて、開業のご挨拶を兼ねた座談会を開催させていただきました。当日は今は神奈川県に住んでいる長男が、フィアンセを連れてわざわざ応援にかけつけてくれました。<div><br><div>座談会の中で、「自分の命や最期は自分で決める」という備えの一つとして、尊厳死宣言書のお話をしました。延命措置とは、尊厳死とは、など一つ一つ説明させていただき、最後に、「私自身も、娘や夫に承諾をもらって尊厳死宣言をしています」と締めくくりました。</div><div><br></div><div>その夜のこと、緊張感から解放されて程よい疲れに酔いしれる私に、神奈川に戻った長男から、一通のLINEが…</div><div><br></div><div>「座談会、とってもよかったよ! ただ…尊厳死宣言書を書いてることは聞いてない」</div><div><br></div><div>その文面を見て、一瞬で眠気が吹っ飛びました。</div></div><div><br></div><div>恥ずかしながら、座談会の中で私は、「家族の同意が必要です」と説明しました。そして、私自身、今一緒に住んでいる、娘、夫、次男には意思を伝え、その目の前で宣言しました。</div><div>そう、長男には何も話していなかったのです。言い訳になりますが、長男のことは全く頭になかったわけではありません。「今は遠く離れて住んでいるから私に万が一があった時に一番に付き添えるわけではないだろうし、何より、私が決めたことに反対なんてしないだろう」と勝手に思い込み、長男に伝えることすらしていなかったのです。</div><div><br></div><div>長男のそのLINEからは、私を責めているというより、寂しさのようなものを感じました。もう立派に成人し、自立し、新しい家族を持とうとしているにしても、長男はやっぱり私の息子であり、家族の一員。今までにも家族の出来事を電話やLINEで報告してきました。それに返事もないことも時にはありましたが、長男は長男なりに家族の一員であってくれていたのです。</div><div><br></div><div>長男には、私が尊厳死を望むことの改めての説明と、「黙っててごめんね」と返信しました。</div><div>長男は、きっと私に万が一があった時、尊厳死を望んでいることを知らなかったとしても、娘や夫から伝えられれば、「この人らしい」と反対はしなかったと思います。でも、自分だけが知らなかった、知らされていなかったことに、少なからずシコリのようなものは残っていたのではないかと思います。</div><div><br></div><div>今回のことで、「終活は本人だけではなく、家族も当事者」ということを改めて実感しました。</div><div>寂しい思いをさせましたが、とても大切なことを教えてくれた長男には感謝です。</div><div>今度帰省してきた時には、彼の大好物の春巻きを作ってもてなしたいと思います。<br></div>
- ~なぜ意思表示が必要なのでしょうか~
- <div>准看護師として勤めていた頃、こんな場面に立ち会ったことがあります。</div><div>急で重篤な状態に陥り、病院に運び込まれた方がいました。知らせを受けて駆け付けたご家族に、担当した医師がこんな説明をしました。<br></div><div><br></div><div>「もし、万が一の状態になった場合、延命措置はどうしますか?」</div><div><br></div><div>突然の問いかけに、ご家族は言葉に詰まり、「え、え… うーんと…」かろうじて声に出した後は、黙り込んでしまわれました。医師は、「じゃあ、とりあえず、希望しますにしますね」とだけ告げ、そのまま次の別の説明に入りました。</div><div>私はその説明を隣で聞きながら、このご家族がきちんと医師の説明を理解しているのか、そもそも耳に入ってきているのか、とても心配になった記憶があります。<br></div><div><br></div><div>自分が最後に会った時がいつもと変わらず元気だった家族が、今想像だにしなかった状況に置かれている。これはドラマ?夢?急な知らせに、「想像だにしなかった状況」に置かれるのは、決してご本人様だけではなく、そのご家族も同じです。</div><div>現実として受け止められない状況が目の前に広がっている、混乱、困惑している上に、医師から専門的な説明をされても、すぐに選択や判断ができる状態からは程遠くなるケースがほとんどだと思います。</div><div><br></div><div>私は医療従事者ですが、仕事とプライベートは別物。</div><div>現場でこんな場面を何度経験しても、実際にこの運ばれてきた患者が自分の親だったら?子供だったら?そう思うと、血の気が引く思いがします。</div><div>医療の知識が、医療には携わっていない方に比べて多少なりともあったとしても、感情まではコントロールできないものだとつくづく思います。(これはあくまでも私ことですが)<br></div><div><br></div><div>「延命措置をしない、やめる」という決断をされたご家族が、ご本人様亡き後に、本当にこれでよかったのかと、</div><div>また、</div><div>「延命措置をする、続ける」という決断をされたご家族が、ベッド上のご本人様を前に、本当にこれでよかったのかと、</div><div>ご自分がした決断がご本人にとってどうだったのか、思い悩まれる姿も、多く見てきました。</div><div><br></div><div>命に答えはないものだと思います。正解も不正解もない。</div><div>だからこそ、「ご自分の命は自分で守る、決める」</div><div>これをぜひしていただきたいのです。</div><div><br></div><div>残されたご家族が、混乱や悲しみといった中でも、「これは本人が望んだことだから」と、最後には顔を上げて決断できるよう、ぜひ、「命の最期に受ける医療」について、ご自分の気持ちや意思を形に残すことをしていただけたらと思います。</div>
- ~残される家族を大切に思えばこそ~
- <div>遺言を残すことの必要性をお話させていただく機会があると、時々こんなことをお話してくださる方がいらっしゃいます。</div><div><br></div><div>「うちは子供たちも孫も仲が良いから、もめることはないから大丈夫!」</div><div>「一緒に住んでる長男にすべて任せるって言ってあるから大丈夫!」</div><div><br></div><div>「相続」は時に、「争続」や「争族」と例えられます。しかし、これを見て、なんでもめるの?争うの?と不思議に思われる方もいらっしゃると思います。</div><div>故人様亡き後に、もめる、争いになるタイミングや原因は、いくつか潜んでいます。故人様の残された財産のうち、誰が、何を、どれだけ引き継ぐのか、これを決めていく途中で、相続人同士の意見や意向が分かれ、気が付いたら争いごとになってしまっていた、顔を見るのも、話すのもしんどい関係になってしまった、残念ですが、現実として相続ではこんな残念で悲しいことも起こりえます。</div><div><br></div><div>相続人が、何をどれだけもらうか、引き継ぐか、互いに気になる、気にするのは、当然です。故人様亡き後も、相続人の方の生活や人生は、まだまだ続きます。</div><div>お子様が小さい、介護が必要な親族と同居している、などのご事情があれば、特に経済的な余裕が少しでも欲しいと思うのが普通ですし、何よりも、相続人に認められている「相続する権利」は誰にも侵すことはできません。<br></div><div>(相続欠格や廃除等の法的なものは除く)</div><div><br></div><div>どれだけご自分から見て、「うちの家族なら大丈夫!」「子供たち同士でもめるなんてないだろう」と思っていても、実際に相続が発生した時点の相続人のそれぞれの生活の状況や考え方等は、未知数です。</div><div>残されるご家族にとっては、舵取りをしてくれていた故人様が亡くなることで、気持ちがバラバラになってしまう、路頭に迷ってしまうということもあるかもしれません。<br></div><div>また、生前に「自分に何かあったらお前に任せると、(故人様の)生前に言われていたから」と言っても、それに納得できない相続人が出てくることもあるかもしれません。</div><div><br></div><div>有効な遺言書は、残されたご家族を守る、道しるべになります。</div><div><br></div><div>法的に有効であることはもちろん、亡き後に実現される為にも残されるご家族の人生や生活を十分に考えた内容にすること、これが、遺言書を作ることの意義であり、必要なことです。</div>
- ~母の三面鏡から思うこと~
- <div>「遺産」とは、亡くなられた故人様が残されたすべての財産のことを指します。</div><div>遺産=財産、と聞くと、「お金」のイメージが強いかもしれませんが、ここでは、預貯金・現金といったお金だけではなく、故人様が残したもの、全て、が遺産となります。</div><div>「全て」なので、プラスの財産だけではなく、例えば、故人様が生前にご事情があってどなたかからお金を借りていた、とか、車をローンで支払っていた、となった場合の、マイナスの財産も含まれます。</div><div><br></div><div>私ことですが、私の母は、「私が死んでも、もめるようなだけの物なんてないから大丈夫!」とよく笑います。</div><div>しかし、私にはある心配事があります。</div><div><br></div><div>母には毎日使っている三面鏡があります。この三面鏡、母が嫁入り道具の一つとしてもってきたものらしいのですが、私よりもはるかに年上なはずなのに、とても状態がよく(昔のものはさすがですね)、使い勝手も抜群。</div><div>子供のころは、自分の容姿が三面の鏡に映し出されるのに恐怖を感じていたこともありますが、今となれば、私が欲しい、母のものの一つ。しかし、ある時、私の姉妹も同じくこれを狙っていることが判明!そして、最近では年頃になった娘が母に直接おねだりしていたことも判明!</div><div><br></div><div>将来、母に万が一があった時、この人気の三面鏡が誰のものとして引き継がれるかは分かりませんが、どうしても欲しい!と互いに誰も一歩も譲らなければ、たった一つの三面鏡の為に、姉妹や娘とけんかになるのかな、なんて心配なのです。</div><div><br></div><div>先に使わなくなるであろう母としては、「誰かが使ってくれればうれしい」くらいにしか思っていないかもしれませんが、逆に言えば、母の次の持ち主が決まらないということは、この三面鏡はその役割を果たせず、お蔵入りになってしまうかもしれないのです。それではこの三面鏡の価値は全くなくなってしまいます。母の人生のつまったものだからこそ、母への想い、母からの想いを大切につなぎつつ、使ってくれる誰かを決める必要があります。</div><div><br></div><div>これはあくまでも私ことであり、極端な例かもしれませんが、故人様が残されたすべての物には、故人様の人生がつまっています。遺産分け=遺産分割協議は、必ず相続人全員による話し合いが必要です。</div><div>そしてその話し合った内容を書面にしたものが遺産分割協議書であり、そこに相続人全員の署名・捺印(実印)がされることで、初めて有効なものとして扱われます。</div><div><br></div><div>「故人様の残した財産を、次に誰が引き継ぐのか決める」</div><div>これには、まず故人様の人生や想いに触れることが大切になるんじゃないかな、と私は思っています。</div>