「安楽死と尊厳死って、違うものですか?」
尊厳死宣言書やリビングウィルのお話をさせていただいた際に、このようなご質問をいただくことがあります。
たしかに、どちらも耳にすることはあると思いますが、どう違うのか、言葉だけで判断するのは難しいところです。
この二つには明確な違いがあります。
まずは「安楽死」
これは、耐え難い苦痛を持つご本人の要請、要望により、医師が直接薬物を投与したり(注射や点滴など)あるいは、医師が処方した死に至らしめる薬物をご本人自身が体に取り込む(内服など)ことにより起こった「死」です。
まだ命の最終段階ではない、生きている・生きる状態にある方に対し、医師が、「死」を早める・迎えるための措置をとることで、結果的にその方の命を終わらせるものです。
この「安楽死」は、「生きている方の命を止める」という観点から、携わった医師が殺人罪などの罪に問われた案件もあり、一般的に日本では認められていません。
次に「尊厳死」
これは、病気やケガにより死が目前に迫っている場合や、意識のない状態が長く続いた場合に、ご本人が元気なうちに示していた希望や意思に基づいて、死期を引き延ばすためだけの医療措置を受けないで、時間の経過、自然な流れのままに受け入れる「死」のことです。
命の瀬戸際に、これ以上の措置をしても、回復し元気になることは考えにくく、心臓が止まるのを免れるだけ、という場面での選択肢の一つになります。
安楽死に関しては、海外では、条件や制限つきで法整備されている国もあり、私は以前、長く難病を患い、その苦痛に耐えきれず何度か自殺をはかったことのある日本人の方が、安楽死を望み、海外に行かれたという出来事をメディアで知りました。同伴されたご家族はご本人に対し、最期まで生きていてほしいと望まれていましたが、ご本人の意思はかたく、「もうこれで苦しまずにすむんだよ。やっと死ねるんだよ。」と。そしてご家族に最大限のお礼を伝える姿に、涙が止まりませんでした。
生きることの希望を失うほどのご本人の苦痛、大切な家族を失いたくないご家族の心情、どちらの立場を想像しても辛く、この状況を外野がどうこう言うことは到底できないと率直に思いました。
尊厳死に関しては、「何としても命をつなぐ」の考えのもと、延命措置が積極的にとられていた時代もありましたが、命の終わりが迫った状況でのたくさんのチューブや機械につながれたご本人の苦痛、それを見守るご家族の心理的負担、そしてご本人様の「尊厳」を守るという観点から、変化してきています。しかし、「尊厳死」に関して、現在の日本では法整備がされていません。また、医療の現場において、「どんな状態でのどんな措置が延命にあたるのか」というのは医師の判断によるところもあり、「この措置をしたら延命」という決まりもありません。
人の命は、いつ、どのように、何が原因で終わりを迎えるのか、誰にも分からないことです。
しかし、「死なない人はいない」 悲しく寂しい気分になりますが、これも現実です。
私も日々の生活の中で、ふとした時に、年齢を感じることも多くなりました。子供たちも成長しそれぞれが新しい家族も持つまでに、そして、両親の老いも目に見えて感じるようになりました。
確実に時間は積み重なっています。
ありきたりな言葉にはなりますが…
今ある命と向き合い、一日一日を大切に。
皆様の毎日がより穏やかで豊かなものでありますように。
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