長丁場でお話してきた「はじめまして、後見人です!」 今回が最終章になります。
終活に関するセミナーや座談会で「後見という言葉を聞いたことありますか」とか「後見制度ってご存知でしょうか」と質問させていただくと、おおよそ出席者の半数以上の方が「聞いたことある」「知っている」と回答されます。その上で「後見に対して、あまり良いイメージがない」「良いことを聞かない」と正直な感想も聞かれます。最近では、SNSの普及等で身近な情報がごく自然に近い形で目や耳に入ってくる機会も増えたと個人的に感じているのですが、「後見」に関する様々なニュースもよく目にします。これも個人的な意見になりますが、どちらかというと、後見に対し否定的な、そして問題視するような記事が多いと感じます。後見人による被後見人の財産の横領等犯罪になりうる出来事は絶対にあってはいけないことですし報道されるべきだと思いますが、たとえば、「後見人が勝手に被後見人の自宅の鍵を変えてしまった」「後見人が勝手に被後見人を施設に入れてしまった」等、被後見人の親族側の主張が記事になっているものも多く目にします。もちろん、この文言を見ると被後見人の親族の方の納得がいかないお気持ちも当然ですし、後見人や後見という制度そのものに対して不信や不満、怒りを覚えるのも当然だと思います。と同時に、この後見人は、被後見人やその親族の方と普段から関係を築けていたのだろうか、とも感じます。私も後見の仕事をしています。若輩者の私が偉そうな言い方をしますが、私が普段から一番気をつけていることは、「情報提供」「情報共有」「報告」「連絡」「相談」です。
これは被後見人だけではなく、その親族、そして介護福祉医療の関係者、全ての相手方に対して絶対的に必要なことだと考えています。そしてこれは本来、本人に後見の申立てが必要かもしれないと検討を始める時点ですでに行うべきものだと感じます。後見制度の内容や仕組みはもちろん、その上で、ではなぜ本人に後見人をつける必要があるのか、後見人ができること、できないこと、後見人の法的な立場や業務内容等を事前に丁寧に説明することが、後々の後見業務において、後見人自身の身を守ることにもつながります。一度抱かれた不信感は、簡単には払しょくされないですし、この積み重ねが原因で、ゆくゆくは後見人が辞職することになってしまっては本末転倒、結果困るのは被後見人である本人なのです。
あくまでも推測であり個人的な見解ですが、「自宅の鍵を変えてしまった」のは、被後見人の財産を他者から守るために必要な措置だったかもしれませんし、「施設に入所させてしまった」のは、被後見人の生活や命を守るために必要な措置だったかもしれません。その経緯や理由等がきちんと事前に説明され、後見人として然るべき判断や手続きに基づくものであれば、親族側としてももう少し違ったお気持ちでいられたのではないか、と思うのです。
私も被後見人を支援する関係者の一人から、「〇〇さん(被後見人)のお金なのに、結局は後見人の価値でしか使えないのですね」と厳しいお言葉をいただいたことがあります。その関係者の方から見て、被後見人の為のいわば必要な経費なのに、なぜ出してあげないのか、本人のお金なのになぜ出し惜しみするのか、と。もちろんその関係者の方に私を責める気持ちがあった訳ではなく、本人の生活をより良くしたい、との一心で思わず出た一言だったと思います。本人の生活をより良くしたい、それは後見人の私も全く同じ気持ちです。ただ、今ある被後見人の財産を、今後いつ終わるか分からない被後見人の人生に備えて、途切れることなく先細ることなく支出していく、これが後見人に任せられた業務である以上簡単に譲れないこともあります。親族や関係者から見れば、時に「嫌われ役」となる覚悟も持たなければと心しております。
この超高齢社会において、高齢者の方を支援するための方法の一つとして、法定後見制度があります。おひとりさまの高齢者の増加や核家族化等を要因として、法定後見制度のニーズは今後高まっていくのではないかと個人的に考えます。もし皆様の中でご家族や身近な方に後見人がついた場合や、すでに後見人がついている場合には、被後見人を支援する関係者の一人として、ぜひその業務について興味をもっていただき、ご理解・ご協力賜れましたら幸いです。
全7回を通して「はじめまして、後見人です!」をテーマにお話ししてまいりました。
法定後見制度は複雑な部分も多く、そしてまだまだ広く知られているとは言い切れない制度だと感じていますが、この記事を通して、皆様にとって後見人の仕事を少しでも身近に感じていただくことができましたら、とてもうれしく光栄です。
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