※写真は本文の内容とは関連ございません。
私事で恐縮ですが、4月にくも膜下出血を発症し、2か月ほど療養期間をいただいておりました。幸いにも発見と治療が早く、現在は後遺症もほぼ消失しスローペースではありますが仕事に復帰しております。治療にあたってくださった主治医の先生と医療従事者の皆様にこの場をお借りして御礼申し上げます。
決して愉快な話題ではないのですが、ようやく振り返る心の余裕ができましたので、今回の出来事を通して私と私の家族との間で再度考え直すきっかけとなったエピソードを紹介させていただきたいと思います。
私は3年前に「リビングウィル」を記しました。私は、万が一命の瀬戸際に立たされたとしても、ただ生命を生きながらえさせる目的だけの措置は受けず、時間の経過とともに自然な形で心臓が止まるのを待って死を迎えたいと望んでいるため、それを意思表示したのです。今回医師から病名を告げられた時、意識はしっかりあったものの、看護職の知識と経験から、「私、このまま死ぬかもしれない」と、静かに覚悟を決めました。そして付き添ってくれていた主人にとっさにこう言いました。「もし私に万が一があったら、(リビングウィルを示した)あのカードを先生に見せてね」と。主人は私に動揺を見せまいといつもと変わらない表情で、「分かったから、今は何も心配しなくていいから」とだけ答えてくれました。この後私は入院することになったため、自宅ではしばらく主人と次男の二人となりました。私が入院し主人が帰宅してすぐに、私の記したリビングウィルと、「延命はしない」という希望について、二人で夜中まで話し合ったそうです。私がリビングウィルを記していることは二人とも知っています。その上で、主人は私の意思を尊重してやりたいと次男に話したところ、次男は、「とても受け入れられないから、考え直す時間が欲しい」と訴えたそうです。入院した翌日、次男がお見舞いにきてくれました。病室の扉が開き、私と目が合った途端、次男は泣き出しました。おそらく心配で不安でいっぱいだったのだと思います。(私も母に対してそうですが、自分の母親は不死身、のように感じていたのでしょう。子供から見たお母さんって、いつも元気でチャキチャキしているイメージありますよね、個人的な意見ですが(笑))しばらくして落ち着いた次男からこんなことをお願いされました。「お母さん、お母さんが延命を望まないってことは知ってるんだけどさ…、あれ、ちょっと考えさせてくれないかな」 私は、私の意思であるならば、おそらく家族は反対はしない、従ってくれるだろうと思っていました。次男も私がリビングウィルを記した当時はそう思ったそうです。しかし、主人から私が入院したことや病名、延命は望まないと言っていることなどを聞き、このまま私が死んでしまったらとても受け入れられない、どんな形でもとりあえずは生きていてほしい、生きてそばにいてほしい、と心から思った、と泣きながら伝えてきたのです。これには私も泣きました。たった一晩で次男が私の命についてこんなにも考え、思ってくれたということに、うれしさと申し訳なさといっぱいになりました。同時に、自分の記したリビングウィルは、ひとりよがりの意思表示だったのではないかと深く反省しました。今回のようにその日の朝まで元気だった母親が夜には命の瀬戸際にいる、その状況で、「私は延命措置は希望しないから何もしないで死なせてね」の言葉を聞いていたからといって、「はい、そうしましょう」とはならない、なれない、と。もし私が家族の誰かと反対の立場だったらどうか…と。
私は終活のご相談を受けた時に、「一番考えていただきたい終活の一つ」として、命の瀬戸際に対する備えについてご説明しています。「命に正解も不正解もない、人によって死生観は違う、今すぐにどうしたいかを決めて形にして残す、ということは難しいこと。でも、だからこそ、折に触れて、「考えること」「想像すること」「声をあげること」をしていただきたい」と。今回の出来事はまさに自分自身に再度この説明を投げかけることとなりました。「私の命は、私が決める」だけではなく、「大切に想ってくれる人がいる私の命だから、じっくり一緒に考えてもらう」ことも必要だと身をもって感じました。
まさかの病気をし、家族にも心配をかけましたが、自分自身の命と改めて向き合うきっかけを作ってもらったと感じます。一日一日を大切に、そして感謝の気持ちを忘れずに、日々精進してまいります。
愛知県内に出張対応します
ご自宅までの出張費
愛知県稲沢市内は無料