コラム
- 家族を守るためにも
- ※写真と本文の内容とは関係ございません。<div><br></div><div>私はこれまで看護職として働いてきましたが、その中で高齢者施設で働くことが期間としては一番長いものでした。</div><div>さて、これはあくまでも私の経験上のお話で大変恐縮なのですが、それまでの生活スタイル・生活の場から離れ、新しく施設に入所される入所者様のほとんどは、環境の変化やご自分を取り巻く人間関係の変化(同じ入所者様やスタッフなど)にすぐに馴染むことが難しく、何らかの変化や不調を訴えられたり、言動になって表れる方が多くいらっしゃるように感じます。たとえば、毎日あった排便が止まってしまい便秘がちになった、夜眠れない、食欲がわかない、などなど、いわゆる急激な環境の変化が精神的・心理的ストレスになり、身体の不調となって表れる方がとても多いです。また、身体だけではなく、物忘れや時間の感覚のズレ、ご自分のいる場所、入所するまでの経過が分からなくなり、徘徊や昼夜逆転、抑うつや怒りっぽくなる、など、一時的なものもありますが、頭の不自由、いわゆる認知症様の症状が見られるようになる方もいらっしゃいます。</div><div>施設によるとは思いますが、私が今までにスタッフとしてお世話になったところでは、新規の入所者様のご家族やご関係者に、「入所して1~2か月は急激な体調の変化も十分に起こりえます」とご説明していました。実際に入所してから数日や数週間で脳血管疾患、心血管疾患を起こし、救急搬送や緊急入院に至る方も珍しくありません。とくにこれらの疾患の場合、急激に命の危機に瀕した状態に陥ることが多く、医師から、「どこまでの治療を求めますか」とご家族に説明がされるケースにも何度か立ち会いました。</div><div>ご家族としては、施設が決まり手続きなどを経て荷物の搬入なども終わり、これでご本人の身の安全や生活の場は確保できた、そして自分たちも少し落ち着けるだろう、と思っていた矢先に、そのご本人の容態が急変し、命の瀬戸際に立たされている…この厳しい現実をすぐに受け入れることは到底難しいのではないでしょうか。さらにその上に、どこまでの治療をするか、いわゆる、延命措置と呼ばれる措置を行うかどうか、これを決めてくださいと言われたとすると、かなりの心理的ご負担が生じることになります。ご家族がその時に延命措置をすると決めたとして、しないと決めたとしても、その後にご本人にとってこれで良かったのかと長く思い悩まれる姿もまた多く見てきました。「(入所の時に)こういうこともあり得ると聞いていたのに…その時は深く考えていなかったんですよね、まさか現実になるなんて…」と苦しい胸の内を打ち明けてくださるご家族もいらっしゃいました。</div><div>想像してみていただきたいと思います。</div><div>もしこんな「まさか」の事態に備えて、ご本人自身が、「自分の命の瀬戸際にどこまでのどんな治療を望むのか」をきちんと意思表示し、ご家族にあらかじめ伝えられていたとしたらどうでしょうか。延命措置を受けるか受けないかというような場合、ほとんどのケースで、すでにご本人が自身ではどうしたいと意思表示ができないような状況・状態におかれていることがほとんどだと思います。そんなご本人からすでに先に、「自分が万が一そんな状態になったら)ああしたい」「こうしたい」「ああしてほしい」「こうしてほしい」と聞けていたのであれば、ご家族は「本人の望んでいた通りにしてあげよう」と思えるのではないでしょうか。またそう思えることで、ご家族自身も究極の選択や判断を自ら迫れることなく行うことができ、心理的ご負担が少しでも軽くなるのではないでしょうか。</div><div>「延命措置」と言われても、どことなく自分事としてはイメージできない、したくない、という方も多いのではないでしょうか。 しかし、人がいつ命の終わりを迎えるか、誰にも分からないことです。年齢に関係なく、不慮の事故などで本当にある日突然に命の瀬戸際に立たされることも考えられます。そういった中で私たちは生活しています。<br></div><div>「自分らしく最期を迎える」ためにも、命の瀬戸際に立たされた場合に、どこまでのどんな治療を望むのか、ぜひイメージしてみる機会、きっかけを作ってみてください。</div><div>子供が結婚した、孫が生まれた、大切な方が亡くなった、などなどの人生における折に触れて「自分事」として考えてみてください。</div><div>イメージは、意思や望みを生み出します。意思や望みがあるとしたならば、声に出して大切な方に伝えてみてください、そしてできる限り形にしてください。これは今回のような命の瀬戸際における医療のみならず、全ての「終活」のスタートになると私は考えています。</div><div><br></div><div>皆様の「イメージ」と「意思表示」は、いつか来るかもしれない万が一の時の備えとなり、大切なご家族を守る道しるべとなります。</div><div>どうか皆様の想いが長く確実に大切な人に伝わりますように。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
- ~尊厳死と延命措置~
- 医療従事者として患者様や施設入所者様とお話する機会の中で、「私はね、食べれない、喋れない、動けないってなったら、もう何もしてほしくない、そのまま静かに逝かせてほしいわ」「延命は受けたくないわ」と、そっと胸の内を明かしてくださる方が多くいらっしゃいました。<div><br><div>では、「延命措置」とは何を指すのでしょうか?</div><div>「たくさんの管を入れて、たくさんの機械につながれている」というイメージを持たれる方もいらっしゃると思います。</div><div><br></div><div>一般的に「延命措置」とは、</div><div>・人工呼吸器</div><div>・人工透析</div><div>・栄養・水分補給</div><div>・血液循環の維持</div><div>・薬剤投与</div><div>が当てはまると言われています。</div><div><br></div><div>ここでよくご理解いただきたいのは、外傷や遺伝性の病気により、人工呼吸器や透析等の生命維持装置を使い生活されている方にとっては、この装置はただ死期を引き延ばすだけのものではない、ということです。</div><div>また、同じ「措置」であっても、それが回復を期待する「治療」目的であったり、急な病気や外傷からの「救命」の目的である場合もあります。</div><div>つまり、上記の5つを受けている=延命措置を受けている、にはつながらないということです。</div><div><br></div><div><div>さて、回復の見込みのない 命の最期が差し迫った終末期の患者様に対し、この、延命措置を差し控え、又は、中止し、人間としての尊厳を保ちつつ、死をむかえさせること。これが現在の日本では「尊厳死」と一般的に定義されています。</div><div>かつては、何としても命をつなぐ、という信念のもと、この延命措置が積極的に行われていた時代もありましたが、</div><div>近年では、QOL(クオリティ・オブ・ライフ 人生・生活の質)の観点のもとで、延命措置を差し控え、または中止して、自然な流れを死を迎える、この考え方に変わってきています。</div><div>命の瀬戸際に、なお、たくさんのチューブや機械につながれた患者様の身体的苦痛、それを見守るご家族の苦痛は計り知れないものがあります。</div><div>無理な延命を差し控え、または中止することで、その患者様の尊厳を守りつつ安心して最期を迎えられるように…</div><div>これが尊厳死という考え方です。</div><div><br></div><div>しかし、残念ながら、現在の日本では、この「尊厳死」に対する法整備がされていません。</div><div>つまり、「これをやったら延命」とか「尊厳死とはこういうもの」というはっきりとした取り決めがないのが現状です。</div><div>ですので、その措置が延命に当たるか、それを差し控えたり中止するか、ということも、原則として、医療現場で治療にあたる医師の判断ということになっています。</div><div><br></div><div>「命の終わり」に答えはないものだと思います。</div><div>「最期の最期まで命を大切にする」と考えた時に、延命措置は必要なものとする考え方もあると思いますし、</div><div>「できるだけ自然の流れに逆らわずに天寿を全うしたい」という考え方もあると思います。</div><div>どちらが正解、不正解でもない。正しい、間違っている、でもない。</div><div>ただ、</div><div>「ご自分の人生や命を最期まで大切にする、オトシマエをつける」という意味で、「命の瀬戸際に、どこまでの、どんな治療を受けたいか」 </div><div>ここに思いを巡らせ、できる限りその考えや意思・希望を形にして残す、ということを、ぜひしていただきたいと思います。</div><div>そのためにも、まずは正しい情報・知識と、使える制度や法律を知っていただくところから。</div><div>ぜひ行政書士をお役立てください。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div></div>
- ~まずは正しい情報から 「違い」を知る~
- 「安楽死と尊厳死って、違うものですか?」<div>尊厳死宣言書やリビングウィルのお話をさせていただいた際に、このようなご質問をいただくことがあります。</div><div>たしかに、どちらも耳にすることはあると思いますが、どう違うのか、言葉だけで判断するのは難しいところです。</div><div><br></div><div>この二つには明確な違いがあります。</div><div><br></div><div>まずは「安楽死」</div><div>これは、耐え難い苦痛を持つご本人の要請、要望により、医師が直接薬物を投与したり(注射や点滴など)あるいは、医師が処方した死に至らしめる薬物をご本人自身が体に取り込む(内服など)ことにより起こった「死」です。</div><div>まだ命の最終段階ではない、生きている・生きる状態にある方に対し、医師が、「死」を早める・迎えるための措置をとることで、結果的にその方の命を終わらせるものです。</div><div>この「安楽死」は、「生きている方の命を止める」という観点から、携わった医師が殺人罪などの罪に問われた案件もあり、一般的に日本では認められていません。</div><div><br></div><div>次に「尊厳死」</div><div>これは、病気やケガにより死が目前に迫っている場合や、意識のない状態が長く続いた場合に、ご本人が元気なうちに示していた希望や意思に基づいて、死期を引き延ばすためだけの医療措置を受けないで、時間の経過、自然な流れのままに受け入れる「死」のことです。</div><div>命の瀬戸際に、これ以上の措置をしても、回復し元気になることは考えにくく、心臓が止まるのを免れるだけ、という場面での選択肢の一つになります。</div><div><br></div><div>安楽死に関しては、海外では、条件や制限つきで法整備されている国もあり、私は以前、長く難病を患い、その苦痛に耐えきれず何度か自殺をはかったことのある日本人の方が、安楽死を望み、海外に行かれたという出来事をメディアで知りました。同伴されたご家族はご本人に対し、最期まで生きていてほしいと望まれていましたが、ご本人の意思はかたく、「もうこれで苦しまずにすむんだよ。やっと死ねるんだよ。」と。そしてご家族に最大限のお礼を伝える姿に、涙が止まりませんでした。</div><div>生きることの希望を失うほどのご本人の苦痛、大切な家族を失いたくないご家族の心情、どちらの立場を想像しても辛く、この状況を外野がどうこう言うことは到底できないと率直に思いました。</div><div><br></div><div>尊厳死に関しては、「何としても命をつなぐ」の考えのもと、延命措置が積極的にとられていた時代もありましたが、命の終わりが迫った状況でのたくさんのチューブや機械につながれたご本人の苦痛、それを見守るご家族の心理的負担、そしてご本人様の「尊厳」を守るという観点から、変化してきています。しかし、「尊厳死」に関して、現在の日本では法整備がされていません。また、医療の現場において、「どんな状態でのどんな措置が延命にあたるのか」というのは医師の判断によるところもあり、「この措置をしたら延命」という決まりもありません。</div><div><br></div><div>人の命は、いつ、どのように、何が原因で終わりを迎えるのか、誰にも分からないことです。</div><div>しかし、「死なない人はいない」 悲しく寂しい気分になりますが、これも現実です。</div><div>私も日々の生活の中で、ふとした時に、年齢を感じることも多くなりました。子供たちも成長しそれぞれが新しい家族も持つまでに、そして、両親の老いも目に見えて感じるようになりました。</div><div>確実に時間は積み重なっています。</div><div><br></div><div>ありきたりな言葉にはなりますが…</div><div>今ある命と向き合い、一日一日を大切に。</div><div>皆様の毎日がより穏やかで豊かなものでありますように。</div>
- 「黙っててごめんね」
- 令和5年5月7日に、稲沢市勤労福祉会館にて、開業のご挨拶を兼ねた座談会を開催させていただきました。当日は今は神奈川県に住んでいる長男が、フィアンセを連れてわざわざ応援にかけつけてくれました。<div><br><div>座談会の中で、「自分の命や最期は自分で決める」という備えの一つとして、尊厳死宣言書のお話をしました。延命措置とは、尊厳死とは、など一つ一つ説明させていただき、最後に、「私自身も、娘や夫に承諾をもらって尊厳死宣言をしています」と締めくくりました。</div><div><br></div><div>その夜のこと、緊張感から解放されて程よい疲れに酔いしれる私に、神奈川に戻った長男から、一通のLINEが…</div><div><br></div><div>「座談会、とってもよかったよ! ただ…尊厳死宣言書を書いてることは聞いてない」</div><div><br></div><div>その文面を見て、一瞬で眠気が吹っ飛びました。</div></div><div><br></div><div>恥ずかしながら、座談会の中で私は、「家族の同意が必要です」と説明しました。そして、私自身、今一緒に住んでいる、娘、夫、次男には意思を伝え、その目の前で宣言しました。</div><div>そう、長男には何も話していなかったのです。言い訳になりますが、長男のことは全く頭になかったわけではありません。「今は遠く離れて住んでいるから私に万が一があった時に一番に付き添えるわけではないだろうし、何より、私が決めたことに反対なんてしないだろう」と勝手に思い込み、長男に伝えることすらしていなかったのです。</div><div><br></div><div>長男のそのLINEからは、私を責めているというより、寂しさのようなものを感じました。もう立派に成人し、自立し、新しい家族を持とうとしているにしても、長男はやっぱり私の息子であり、家族の一員。今までにも家族の出来事を電話やLINEで報告してきました。それに返事もないことも時にはありましたが、長男は長男なりに家族の一員であってくれていたのです。</div><div><br></div><div>長男には、私が尊厳死を望むことの改めての説明と、「黙っててごめんね」と返信しました。</div><div>長男は、きっと私に万が一があった時、尊厳死を望んでいることを知らなかったとしても、娘や夫から伝えられれば、「この人らしい」と反対はしなかったと思います。でも、自分だけが知らなかった、知らされていなかったことに、少なからずシコリのようなものは残っていたのではないかと思います。</div><div><br></div><div>今回のことで、「終活は本人だけではなく、家族も当事者」ということを改めて実感しました。</div><div>寂しい思いをさせましたが、とても大切なことを教えてくれた長男には感謝です。</div><div>今度帰省してきた時には、彼の大好物の春巻きを作ってもてなしたいと思います。<br></div>
- ~なぜ意思表示が必要なのでしょうか~
- <div>准看護師として勤めていた頃、こんな場面に立ち会ったことがあります。</div><div>急で重篤な状態に陥り、病院に運び込まれた方がいました。知らせを受けて駆け付けたご家族に、担当した医師がこんな説明をしました。<br></div><div><br></div><div>「もし、万が一の状態になった場合、延命措置はどうしますか?」</div><div><br></div><div>突然の問いかけに、ご家族は言葉に詰まり、「え、え… うーんと…」かろうじて声に出した後は、黙り込んでしまわれました。医師は、「じゃあ、とりあえず、希望しますにしますね」とだけ告げ、そのまま次の別の説明に入りました。</div><div>私はその説明を隣で聞きながら、このご家族がきちんと医師の説明を理解しているのか、そもそも耳に入ってきているのか、とても心配になった記憶があります。<br></div><div><br></div><div>自分が最後に会った時がいつもと変わらず元気だった家族が、今想像だにしなかった状況に置かれている。これはドラマ?夢?急な知らせに、「想像だにしなかった状況」に置かれるのは、決してご本人様だけではなく、そのご家族も同じです。</div><div>現実として受け止められない状況が目の前に広がっている、混乱、困惑している上に、医師から専門的な説明をされても、すぐに選択や判断ができる状態からは程遠くなるケースがほとんどだと思います。</div><div><br></div><div>私は医療従事者ですが、仕事とプライベートは別物。</div><div>現場でこんな場面を何度経験しても、実際にこの運ばれてきた患者が自分の親だったら?子供だったら?そう思うと、血の気が引く思いがします。</div><div>医療の知識が、医療には携わっていない方に比べて多少なりともあったとしても、感情まではコントロールできないものだとつくづく思います。(これはあくまでも私ことですが)<br></div><div><br></div><div>「延命措置をしない、やめる」という決断をされたご家族が、ご本人様亡き後に、本当にこれでよかったのかと、</div><div>また、</div><div>「延命措置をする、続ける」という決断をされたご家族が、ベッド上のご本人様を前に、本当にこれでよかったのかと、</div><div>ご自分がした決断がご本人にとってどうだったのか、思い悩まれる姿も、多く見てきました。</div><div><br></div><div>命に答えはないものだと思います。正解も不正解もない。</div><div>だからこそ、「ご自分の命は自分で守る、決める」</div><div>これをぜひしていただきたいのです。</div><div><br></div><div>残されたご家族が、混乱や悲しみといった中でも、「これは本人が望んだことだから」と、最後には顔を上げて決断できるよう、ぜひ、「命の最期に受ける医療」について、ご自分の気持ちや意思を形に残すことをしていただけたらと思います。</div>