コラム
- ~介護が必要な状態になってから、に備える~ Part ②
- 前回に続き、「介護が必要な状態になってから、に備える」<div>2回目の今日は、「法定後見の仕組み」をテーマに書かせていただきます。</div><div><br></div><div>大切なご家族が認知症になり介護が必要な状態になった場合、現実的なお話としてやはりお金がかかります。</div><div>ご本人に必要な治療や介護を受けてもらうためには、医療や介護に関する制度をフル活用したとしても経済的な自己負担は発生しますし、これまで通りの「生活費」もかかります。そして支えるご家族にも生活や人生があり、やはりお金は必要です。しかし、もしご家族が、ご本人のためにご本人の財産を使おうとした場合でも、ご家族だからといって無限に、無条件に使えるわけではありません。具体的に、たとえばご家族が、「本人名義の通帳に定期預金があり、それを解約して施設入所のために使いたい」「本人が施設に入所することになり、自宅が空き家になり今後住むあてもないので、売却して介護資金にしたい」と希望しているとしても、銀行さんや不動産会社さんは「はい分かりました、やりましょう」とはなりません。なぜならば、いくらご本人が認知症で判断能力がないとしても、ご本人の財産を本人以外の人が勝手に処分することはできず、むしろしっかりと保全される必要が高まるからです。ご本人の財産と権利を守るために、あえてとられる措置なのです。</div><div>また、ご本人の判断能力が低下している場合、印鑑や通帳、身分証などをご自分で保管していることによって、悪徳商法などの被害に遭うことも考えられます。ご本人の財産を預かり管理することによってこうしたトラブルを防ぐことが望ましいのですが、一方的にご本人より取り上げる形になってしまうと、ご家族であっても関係がぎくしゃくすることもありえます。</div><div>ご家族からすると「本人のために必要なことなのに、やってあげられない」ことが出てきます。 こうなると時に死活問題になります。</div><div>こんな時に利用できる制度としてご紹介するのが、「法定後見制度」です。</div><div>法定後見制度は、判断能力の低下によって、ご本人自身がご自分の生活や財産を守るための法律行為や財産管理をすることが困難になった場合に、家庭裁判所によって選任された適切な援助者がご本人に代わって法律行為や財産管理など必要な支援をする仕組みです。</div><div>おおまかな流れとしては、</div><div>①ご本人に判断能力の低下、保護の必要が生じる→②家庭裁判所に申立てをする(※1)→③家庭裁判所による調査や意医師による鑑定が行われる→④家庭裁判所により後見等の(※2)開始の審判がなされ、成年後見人等が選任される(※3)→⑤審判の確定と内容の登記がされる→⑤成年後見後見人等によりご本人のために後見事務がなされる(※4)→⑥後見終了(※5)</div><div>となります。</div><div>⑤の後見事務により、成年後見人等は、家庭裁判所で指導を受けたとおり、ご本人の財産を預かり、収入や支出を記録し、生活の様子に気を配ります。定期的な事務報告等の義務も課せられています。法的に決められた「ご本人を適切に支援する人」が就くことで、ご本人の生活や財産が守られ、ご家族にとっても安心です。</div><div><br></div><div>ただ、この制度、いくつか事前に必ず知っておくべき内容もあります。</div><div>(※1)…申立てができるのは、本人、配偶者、4親等以内の親族等です。(親族がいない、申立てを拒否している等の事情がある場合、市町村長が公の立場で行います)申立ての際に必要な書類が大変に多くあり、作成や請求などに時間がかかるものもあります。</div><div>(※2)…ご本人の判断能力の程度により、「後見」「保佐」「補助」の3つの類型に分かれます。補助→保佐→後見の順に判断能力がより困難な状態です。補助や保佐の場合、ご本人の残存能力や権利の尊重のためにも、援助者が支援できる範囲が小さくなります。</div><div>(※3)…申立ての際に、「この人に後見人になってほしい」「私が後見人になりたい」という希望は記入できますが、実際にその方が選任されるとは限りません。ご本人の財産状況などを勘案し、最終的に家庭裁判所が選任します。</div><div>(※4)成年後見人等に対しては、その請求により、報酬がご本人の財産より支払われます。金額はご本人の財産や業務内容により家庭裁判所が決定します。</div><div>(※5)一度成年後見人等が就くと、基本的にはご本人が亡くなるまで(若しくはご本人の判断能力が回復するまで)成年後見人等の業務が継続されます。元々申立てをするきっかけとなった出来事(定期預貯金の解約や不動産の売却など)の目的が達成されたとしても、成年後見人等の業務は終了しません。</div><div>その他、成年後見人等はご本人の財産管理と身上監護を目的とした法律行為を行いますが、事実行為は行うことができません(たとえば、介護におけるおむつ交換や身の回りの世話など) また、医療に関する同意権ももちません(たとえば、延命治療の有無の決定や、医療行為(手術など)への同意など)</div><div><br></div><div>法定後見制度はご本人に万が一が起こった時に、ご本人の生活や身体、財産を守るために利用できる制度です。</div><div>ご本人の判断能力が困難となり、ご本人自身では生活が立ち行かなくなった時、また、支えるご家族側の心理的、体力的なご負担を考えた時に、利用できる一つとして、概要や仕組み自体も含め、こんな制度があるんだということをまずよく知っていただくことが大切になると思います。</div><div><br></div><div>「介護が必要な状態になってから、に備える」 今回はPart②「法定後見の仕組み」をご紹介しました。</div><div>次回最終、Part③へ続きます。</div><div><br></div><div><div><br></div></div>
- ~介護が必要な状態になってから、に備える~ Part①
- 今回より3回にわたって「介護が必要な状態になってから、に備える」をテーマに書かせていただきます。<div><br><div>1回目は、「介護が必要な状態になるきっかけと必要なサポート」です。</div><div><br></div><div>「人間、最期の最期まで、自分のことは自分で」これは一番の理想であり、どなたもが望むことではないでしょうか。</div><div>自分の介護で家族に迷惑をかけたくない、自分の体のことを誰かに手伝ってもらったり見られたりするのは嫌、自分の大切な物は最期まで自分の手元に置いて自由に使いたい…</div><div>これは人として当然に願うことですし、尊厳を守るという意味でとても大切なことです。</div><div>しかし、超高齢社会、医療が目覚ましく進展し、福祉に関する制度も整備される中で、どなたかや何らかのサポートを受けなければ生活が難しい、生きていくことが難しい、つまり、「介護が必要な状態になる」ケースになることが多くあるのも現状です。</div><div>では、介護が必要な状態になるきっかけには、どんなことがあげられるでしょうか。</div><div>「きっかけ」になりうる出来事を3つあげたいと思います。</div><div>まず1つ目は、「年齢的な変化」 加齢による身体的、心理的な変化です。個人差はありますが、加齢に伴い、筋力の低下や節々の痛み、気力の低下など、生理的な変化、衰えによるケースです。</div><div>2つ目は、「身体の不自由」 病気やけがにより、自分の力や意思で行動、動作することが難しくなるケースです。</div><div>3つ目は、「頭の不自由」(※この表現に色々なご意見があるかと思いますがご容赦ください) 認知症や精神障がい、知的な障がいにより、自分の意思を伝えたり、判断することが難しくなるケースです。</div><div>この中で、皆さんにとって身近で不安に感じるものの一つが、認知症ではないでしょうか。</div><div>認知症といっても、その病態や症状、進行度は様々ですが、写真にも掲載している書籍「認知症世界の歩き方」の表現をお借りすると、認知症とは、「認知機能が働きにくくなったために生活上の問題が生じ、暮らしづらくなっている状態」です。認知機能とは、私たちが普段意識せずやっていること、やれていることになります。(たとえば道端で犬を見かけた時に、それが犬という動物だと認識したり、知らない犬だから嚙まれないように近づかないでおこうと判断・選択したり、帰宅後に、今日は道端に犬がいたなと思い出したり、その後飼い主のもとに戻れたのかなと想像したり…)</div><div>私は看護職として働く中で、認知症と診断された方にも多く接してきました。その方々に見られた症状として、「自分の気持ちや状態を上手く伝えられない(気持ちが伝わらない、分かってもらえないことで、感情的な言動や態度になる、身体の不調を訴えることができず治療が遅れてしまう)」「体内時計の乱れ(睡眠の昼夜逆転、ご飯を食べたのにも関わらず食べていないという)」「記憶をとどめることが難しくなる、思い込みや執着が強くなる(財布や通帳を失くしてはいけないと仕舞い込むが、仕舞い込んだ場所や仕舞い込んだことを忘れてしまい、誰かに盗られたに違いないと思い込む)」などがありました。</div><div>では、もし万が一皆さんの大切なご家族が認知症になったとしたら、どのようなサポートが必要になるでしょうか。</div><div>こちらも3つあげたいと思います。</div><div>まず1つ目は、ご本人の身体や生活を守るための契約や申請、手続き(介護保険制度の利用や、入院や施設入所の手続きなど)</div><div>2つ目は、ご本人の財産の管理、保全 (明らかに不要なものを買ったり、ご本人にとって不利益の大きい契約を結んでしまわないように、財布や通帳、印鑑を預かるなど)</div><div>3つ目は、お金の工面 (ご本人に介護や治療が必要な場合や、入院、施設入所となった場合、ある程度まとまったお金が必要になります)</div><div>こういったサポートが必要になるのですが、3つ目の「お金の工面」というところで、思わぬ問題が発生することがあります。</div><div><br></div><div><br></div><div>☆次回「~介護が必要な状態になってから、に備える~ Part ② 法定後見制度の仕組み」に続きます。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div> </div>
- ~ラブレターを遺しましょう~
- <div>※写真はイメージです</div><div><br></div><div>遺言とは、生前のうちに、自分の亡き後に自分の残した財産について、誰に、何を、どのように、どれだけ引き継いでもらいたいかを意思表示したものです。</div><div>遺言は、法律で定められた事項について、遺言者が亡くなってはじめてその効果を発生させることがきます。</div><div>遺言は、被相続人(故人、遺言者)の一方的でお一人での意思表示であるため、残されたご家族やご親族等に与える影響はとても大きいものになります。そのため、遺言があったからといってこれを無限に、無条件に認めてしまうと、利害関係人に混乱をもたらすことがあり、これを防ぐために、民法は遺言に関する事項を定めています。この民法で定められた遺言事項を法定遺言事項といいます。</div><div>反対に、法定外事項といって、たとえ記載されていたとしても、法的に拘束力や強制力がない事項もあります。</div><div>法定外事項にあたるのが「付言事項(ふげんじこう)」と呼ばれるものです。</div><div>付言事項とは、遺言者がどのような思い・きっかけで遺言をしたのかという心情と、自分の亡き後もご家族ご親族一同に仲良く暮らしてほしいというご希望などを記載したものです。</div><div>具体的には、遺言の動機、葬式の方法、死後の献体、家業の発展、家族の幸福の願い、家族や兄弟姉妹間で争うことなく仲良くしてほしいという願い、家訓など継承してほしいことやその方法などです。</div><div>付言事項には法的な効果はありませんが、遺言者の「想い」を相続人に伝えることができます。</div><div>亡くなってその存在がこの世からなくなり、姿がなくなってもなお、故人様の「最後の声」として受け取ることができるのです。私事ですが、この付言事項のことを「最後のラブレター」とご説明しています。</div><div>以前、公正証書遺言の作成サポートのご依頼をお受けしました。その時に付言事項の記載を提案させていただいたところ、ぜひ残したいとご希望があり、遺言者様のこれまでの人生、ご家族との思い出、この先の願いなど、丁寧にお聞かせいただき、何回も話し合いを重ね、「最後のラブレター」が完成しました。迎えた公正証書遺言作成の日、遺言者様は公証人より読み上げられた遺言を何度も大きく頷きながら聞かれ、付言事項の読み上げの際には、それまで以上に穏やかな表情で目に涙をためていらっしゃいました。若輩者ながら、この方の人生最後の意思表示に自分が行政書士として関わらせていただくことができたということに、心からの感激と感謝の気持ちでいっぱいになりました。</div><div>法的効果のある遺言の本文を、側面から「想い」の部分として支える大きな役割となりうるのが付言です。</div><div>実際に相続が発生した時の状況や相続人の心情にもよりますが、遺言者の想いが相続人に伝われば、遺言者の意思を大切にしようという気持ちが一致し、結果的に円満円滑な相続になることを期待できるかもしれません。「最後のラブレター」にはそんな温かさが宿っています。</div><div>この付言事項、あくまでも「ラブレター」です。反対に、相続人がこれを読んで気分を害したり、反発を買うような内容や表現は、ぜひ避けるべきだといえます。</div><div>「遺言」や「法律」と聞くと、どこか敷居が高く、とっつきにくいというイメージを持たれる方もいらっしゃると思います。しかし、付言事項だけではなく、法定事項も含め、遺言は「故人様からご家族様へのメッセージ」です。</div><div>ぜひ、残されるご家族のお気持ちに寄り添った内容にすることをおすすめしたいと思います。</div>
- ~まずは「振り返りと想像」から~
- 令和6年1月28日に開催させていただいた座談会は、「その介護、その相続、まずははじめの一歩から」がテーマでした。<div>相続に関しては、「その相続、相続人の私ができること、できないこと」ということで、途中〇×クイズもやらせていただき、皆様真剣に考えてくださいました。</div><div>遺産分割協議は、相続が発生した後に残された財産の分配の方法を相続人が話し合って決めるものですが、故人様自身が、生前のうちにご自分の財産の行く末を決めておく、託しておくのが、「遺言」です。故人様の生前の最終の意思表示を「遺言」といい、それを書面に落とし込んだものを「遺言書」といいます。</div><div>法的に有効な遺言書があれば、故人様が亡くなって初めてその効力が発生します。その内容に、相続人が納得し、疑義も出されなければ、その内容通りに財産の分配がされ、晴れて残された財産の次の持ち主が決まるという流れになります。</div><div>つまり、相続人全員による遺産分割協議が必要なくなるので、様々ないきさつがあって(例えば、夫婦間にお子様がいない、相続人同士の仲が良くない、連絡が取れない相続人がいる、相続人の中に未成年者がいるなど)、遺産分割協議をしようにも、相続人全員が集まることが難しい、話し合いを持つことが難しい、法律的な問題が生じる、といった事情が相続発生後に生じる可能性があるのであれば、ぜひ遺言書を残されることをおすすめしています。</div><div>しかし、いきなり「遺言書」というと、なんだかハードルが高い、躊躇してしまう、という方も多いのではないでしょうか。残す、書くのはいいけど、何から始めたらいいのだろう?と迷ってしまう…</div><div>そんな方にまずしていただきたいことがあります。<br></div><div>それは「振り返りと想像」です。<br></div><div>まずは「ご自分の情報整理」をしてみるということです。<br></div><div>「ご自分の過去を振り返る」 今までに、どんなご縁や出会いがありましたか…どんな財産を築いてきましたか…</div><div>「ご自分の現在に向き合ってみる」 ご家族関係はいかがですか…お身体の具合はいかがですか…今どこに、どれくらいの価値の財産がありますか…</div><div>次に、「ご自分の将来を想像してみる」ことをしてみてください。</div><div>ご自分の望む将来や老後、最期はどんなものですか…誰に、何をお願いしたいですか、託したいですか…</div><div>そして、それをぜひ書き出してみていただきたいのですが、その時に活用いただきたいのが、「エンディングノート」と呼ばれるものです。</div><div>今は書店や文房具店で、終活を取り上げたコーナーも多く見られるようになりました。</div><div>その中で、呼び方は違っても、ご自分の人生の振り返りの情報やこの先のご希望や意思を書き出せるような書籍やノートを取り扱っているお店も増えています。</div><div>私は、遺言書作成のご相談をいただくと、まずはこのエンディングノートを書いていただくようにお願いしています。</div><div>ご自分の生い立ちや、家族関係、親族関係、といった情報は、「相続人の特定」につながりますし、財産の状況や状態などの情報は、「相続財産の把握」につながります。この二つは、遺言書作成時には欠かせない情報になりますが、もう一つ、もし遺言書の作成・完成まで待たずにご本人が亡くなられた場合にも、残されたご家族が相続手続きを進めるにあたって、とても役に立つ情報となります。</div><div>ただ、このエンディングノート自体には、法的な効力はありません。遺言書と違い、相続人を法的に左右するものではないことに、注意が必要です。</div><div>しかし、「終活」という言葉を意識した時は、まずは「ご自分の今までの人生を振り返り、この先の人生を想像してみる」 これが、一番最初に気軽にできるはじめの一歩になるのではないかと考えます。</div><div><br></div><div>まだまだ寒い日が続きます。おうち時間が長くなる今この季節に、ぜひ「はじめの一歩」を踏み出してみませんか。</div><div><br></div><div><br></div>
- ~故人様の人生や想いを繋げるためにも~
- <div>令和6年4月から、不動産相続登記が義務化されます。 <br></div><div><div>現在日本には、相続によって土地を相続したのにも関わらず、登記が適正にされない、されなかったがために、登記簿を見ても持ち主が分からない、「所有者不明土地」が増加しています。令和2年のデータになりますが、日本全国のこのような土地をすべてくっつけたとすると、その広さは国土の約24%、九州よりも広い面積になると言われています。</div></div><div>この所有者不明の土地は、様々な弊害をもたらします。管理がされないことにより草木が生い茂り、放火や不法投棄などの犯罪の温床になったり、景観を損ねる、衛生上の問題等も発生します。行政としては、持ち主の許可や承諾がなければ勝手にさわることもできず、その持ち主を特定したくても、連絡がつかない、誰だか分からない…こういった悪循環が大きな社会問題になっています。そこで、「相続で不動産を取得した場合には、しっかり登記をしてくださいね。これをしないと場合によっては罰則もありますよ」という新たな決まりができました。</div><div>さらに、これは昨年令和5年4月からすでに始まっていますが、具体的相続分の割合による遺産分割の基準にも制限がかけられています。これは、「各相続人が持つ相続に関する権利の一部は、原則として相続発生から10年経過すると、遺産分割協の中で主張できなくなりますよ」というものです。遺産分割協議では、故人様の残した財産のうち、誰が、何を、どれだけ引き継ぐかを話し合いで決めていきます。その中で、「私は(故人様の生前に)介護を一手に引き受けたのよ」「あなたは(故人様の生前に)たくさん援助を受けていたわよね」など、互いに主張したくなる場面もあるかもしれません。民法ではこれを「寄与分」「特別受益」として明文化していますが、こういった「相続人の持つ権利」を協議の中で主張できる「期間」に制限を設けたのです。確かに、故人様亡き後に、相続人間でいつまでもこんな主張を繰り返していては、相続は完結せず、いつまでも「次の新しい持ち主」が決まらないですね。</div><div>故人様亡き後に、故人様の所有していた財産が持ち主を失い、宙ぶらりの状態に長く陥ることを、国は法律を通して防ぐ方向で動いています。</div><div>故人様亡き後、その財産はいったんは相続人全員の「共有」の状態になります。しかし、この共有「みんなのもの」の状態が長く続くことで様々な不都合が出てくることもあります。それは相続人間だけの問題にとどまらず、将来的には最初のその相続には無関係だったご家族や社会にまで影響することも考えられます。</div><div>何より、故人様の人生、想いがつまった「財産」がうまく引き継がれないことで、その価値が生かされないこと、思わぬ</div><div>トラブルやもめごとの原因になってしまうのは、大変残念でもったいないことです。</div><div><br></div><div>人が亡くなると、葬儀や事務手続きなど、残されたご家族には、やらなければならないことが山積みです。その中でも相続手続きは相続人のその後の人生や生活に影響する大きな出来事だと考えます。故人様亡き後も、時間は止まってはくれません。</div><div>大切な方を亡くされ、喪失感や悲しみの中にある方の心や体のご負担が少しでも軽くなるように、私達専門家に相談してみるという選択肢もぜひ検討いただけたらと思います。</div><div><br></div><div><br></div>
- 姿はなくても
- 来春挙式する予定の息子から連絡があったのは秋のこと。挙式で新郎新婦の父親向けにモーニングコートの貸し出しがあり、予約が必要とのこと。「借りるよね?」と確認の内容でした。母の黒留袖があるので新郎の母である私は当日それを着ますが、モーニングコートはさすがにないよね…借りるしかないか、と考えていましたが、夫に相談すると、「…あるかもしれない」と驚きの一言が!<div>私はモーニングコートと聞くとお尻のあたりがバッタのような形をしていて(すみません、燕尾服と書くだけあって、燕の尾なんですね、あとから知りました)テレビの中で皇族の方が着ているイメージだったので、一般的な家庭で常に用意されているものではないイメージがありました。しかし、夫の亡き父のモーニングコートがあったのです。</div><div>夫のきょうだいは女性ばかりで男性は夫だけなので、義父亡き後、義父の着用していた衣装のほとんどは夫が引き取っています。義父はとてもおしゃれだったようで、オーダーメイドであつらえたであろうものもたくさん。きっと着た後もきちんとクリーニングに出したり、義母がお手入れしていたのでしょう。</div><div>とはいってもモーニングコートの出番はそれほど多くはなかったはず。主を失ってからはいつの間にか処分されたかもしれないと、夫も「もしかしたら」くらいのつもりで義母に聞いてみたようでした。</div><div>義母は夫から聞かれて、すぐに自宅内の思い当たるところを大捜索してくれた様子。翌日に義母からモーニングコートを受け取った夫の姿を見た時は、「普通の家にこれがあるんだ!」などと失礼極まりない言葉を発してしまいました(奥田家の皆様、大変申し訳ございませんでした)</div><div>義父のモーニングコートに被せられたクリーニングのビニールは所々破れて変色していましたが、幸いにも中身は虫食いも色褪せもなく無傷! 初めて手に取ってマジマジと見ましたが、燕の尾の上着に、縦縞模様のズボン、重厚感があり、格式の高さをうかがえます。</div><div>上着は肩幅も袖も裾もピッタリでした。次にズボンに足を通して裾を見ると、右と左で長さが若干違います。夫に聞くと、「親父は昔から左右の足の長さが違い、持っているズボンはすべて裾直ししていた」と。「洋服はほとんど○○というお店で買っていた、そこは(親父の)弟が勤めていた関係のお店で…」などなど、その後もズボンを履いたまま、夫から亡き義父の話をたくさん聞きました。義父は私が嫁ぐ前に亡くなっているので、私には義父との思い出はありません。しかし、普段は私の話の聞き役である夫が(というより一方的に私がしゃべるので)、珍しくよくしゃべるのです。</div><div>あまり亡き父の話を自分からする夫ではありませんが、以前何かの時に「親父が亡くなった時は、これからは聞く人がいなくなるな、かばってくれる人がいなくなるなって…」とその時に感じた本音を話してくれたことがありました。その言葉に、夫にとって義父がどれほどの存在だったのかということが垣間見えた気がしました。亡き父のモーニングコートとともに色々な思い出がよみがえったのでしょう。夫はとてもうれしそうでした。</div><div><br></div><div>一着のモーニングコートが、こんなにも穏やかで懐かしい思い出と楽しい会話を運んできてくれました。姿はなくても、義父は夫の中に生きているということを実感しました。そして、義父との思い出を夫が語ってくれることで、私も義父を近くに感じることができました。こんなにも素敵なモーニングコートを仕舞っておいてくれた義母にも感謝です。</div><div>『「相続」を「争族」「争続」じゃなく、「想族」「想続」にしたい』行政書士を目指した初心を思い出させてくれる大切なエピソードになりました。</div><div><br></div><div>もうすぐお直しに出していたものが出来上がって戻ってきます。上から下まで着揃えた夫の後ろ姿はきっと、義父そのもの。挙式当日よりも前に、義母に夫のモーニングコート姿を披露したいと思います。</div>
- 故郷ってありがたい
- 先日Neoふくじま行政書士事務所事務所近くにて、「歩いて気軽に聞きに行こう」をコンセプトに、地域座談会を開催させていただきました。<div><div><div>稲沢市福島町は、私の生まれ育った故郷であり、現在自宅兼事務所を構えている所でもあります。</div><div>朝のゴミ出しに行けばたまたまご近所さんと顔を合わせてご挨拶、町内に唯一ある郵便ポストに行ったついでに近くの小学校(私も子供も通いました)の運動場で体育の授業中の子供達の様子を微笑ましく見たり、実家のワンコのお散歩に出れば、同級生のお母様から「早苗ちゃん!」とお声を掛けていただくこともあります。</div><div>まだ若かりし頃は、交通の便の悪さ、夜になると街灯もなく真っ暗、コンビニも近くにない、という環境に、「ああ、田舎はやだやだ!」なーんて生意気を言っていましたが、大人になり歳を重ねていくにつれ、故郷の良さが分かる気がしています。</div><div><br></div><div>稲沢市は、植木苗木の街としても有名ですが、もう一つビッグイベントが、尾張大國霊神社なおい神事、通称「国府宮はだか祭り」です。</div><div>神男に触って厄を落とそうと国府宮神社に集まった裸男達が激しくもみ合う姿は、テレビ中継で見ているだけでも思わずこぶしを握り締め、「早く(神男を)上げてあげて!!」とハラハラドキドキしてしまいます。</div><div>コロナの影響でしばらく中止となっていた、このもみ合いですが、今年のはだか祭りでは数年ぶりに行われ、私事ですが息子が小学生の時以来で参加しました。送り出す方は朝から準備に追われ(なんなら数日前のふんどしや足袋の買い出しから)、地区を出発してからも心配で不安で落ち着きません。なおい布の奉納だけならまだしも、もみ合いにまで参加してくると聞くと、帰ってくるまで気が気ではありませんが、当の本人は、唇は真っ青、ガタガタと震えながらも、「(神男に)触れたわ~!」と充実感満載のドヤ顔、全身ずぶ濡れになって無事に帰宅。そこからポカポカのお風呂に入らせ、ようやく母の役目は終わりです。</div><div>はだか男達は集団になって国府宮神社に向かうのですが、この時にお世話になるのもまた、地区の有志達とそのご家族で結成された世話人の方々。万が一のための救護車やお迎えの配車、軽食の準備、労いの夕食(宴会)の調整、など…</div><div>この方々のおかげで、はだか男は安心して参加できますし、送り出す家族にとっても頭の下がる思いです。</div><div>気の早い話ですが、我が家の息子、今年の久しぶりの参加ともみ合いの興奮、神男に触ることができた感激が忘れられないのか、来年も参加すると張り切っています。また、地区の世話人の方々にお世話になることになりそうです。</div><div><br></div><div>話は戻って、先日の座談会の後には、「早苗ちゃん、勉強になったよ!」「またこういうのやってほしい!」と、とてもありがたい感想、お言葉をいただき、感激いたしました。まだまだ勉強中の身である私のつたないお話を最後まで一生懸命聞いてくださった皆様に、心から感謝いたします。</div><div>「地域貢献」などという言葉を使うにはおこがましいですが、先祖代々お世話になっているこの地で、そして大好きなこの地で、地域の皆様のお役に少しでも立てるよう、今後も精進してまいります。</div><div><br></div></div></div>
- ~尊厳死と延命措置~
- 医療従事者として患者様や施設入所者様とお話する機会の中で、「私はね、食べれない、喋れない、動けないってなったら、もう何もしてほしくない、そのまま静かに逝かせてほしいわ」「延命は受けたくないわ」と、そっと胸の内を明かしてくださる方が多くいらっしゃいました。<div><br><div>では、「延命措置」とは何を指すのでしょうか?</div><div>「たくさんの管を入れて、たくさんの機械につながれている」というイメージを持たれる方もいらっしゃると思います。</div><div><br></div><div>一般的に「延命措置」とは、</div><div>・人工呼吸器</div><div>・人工透析</div><div>・栄養・水分補給</div><div>・血液循環の維持</div><div>・薬剤投与</div><div>が当てはまると言われています。</div><div><br></div><div>ここでよくご理解いただきたいのは、外傷や遺伝性の病気により、人工呼吸器や透析等の生命維持装置を使い生活されている方にとっては、この装置はただ死期を引き延ばすだけのものではない、ということです。</div><div>また、同じ「措置」であっても、それが回復を期待する「治療」目的であったり、急な病気や外傷からの「救命」の目的である場合もあります。</div><div>つまり、上記の5つを受けている=延命措置を受けている、にはつながらないということです。</div><div><br></div><div><div>さて、回復の見込みのない 命の最期が差し迫った終末期の患者様に対し、この、延命措置を差し控え、又は、中止し、人間としての尊厳を保ちつつ、死をむかえさせること。これが現在の日本では「尊厳死」と一般的に定義されています。</div><div>かつては、何としても命をつなぐ、という信念のもと、この延命措置が積極的に行われていた時代もありましたが、</div><div>近年では、QOL(クオリティ・オブ・ライフ 人生・生活の質)の観点のもとで、延命措置を差し控え、または中止して、自然な流れを死を迎える、この考え方に変わってきています。</div><div>命の瀬戸際に、なお、たくさんのチューブや機械につながれた患者様の身体的苦痛、それを見守るご家族の苦痛は計り知れないものがあります。</div><div>無理な延命を差し控え、または中止することで、その患者様の尊厳を守りつつ安心して最期を迎えられるように…</div><div>これが尊厳死という考え方です。</div><div><br></div><div>しかし、残念ながら、現在の日本では、この「尊厳死」に対する法整備がされていません。</div><div>つまり、「これをやったら延命」とか「尊厳死とはこういうもの」というはっきりとした取り決めがないのが現状です。</div><div>ですので、その措置が延命に当たるか、それを差し控えたり中止するか、ということも、原則として、医療現場で治療にあたる医師の判断ということになっています。</div><div><br></div><div>「命の終わり」に答えはないものだと思います。</div><div>「最期の最期まで命を大切にする」と考えた時に、延命措置は必要なものとする考え方もあると思いますし、</div><div>「できるだけ自然の流れに逆らわずに天寿を全うしたい」という考え方もあると思います。</div><div>どちらが正解、不正解でもない。正しい、間違っている、でもない。</div><div>ただ、</div><div>「ご自分の人生や命を最期まで大切にする、オトシマエをつける」という意味で、「命の瀬戸際に、どこまでの、どんな治療を受けたいか」 </div><div>ここに思いを巡らせ、できる限りその考えや意思・希望を形にして残す、ということを、ぜひしていただきたいと思います。</div><div>そのためにも、まずは正しい情報・知識と、使える制度や法律を知っていただくところから。</div><div>ぜひ行政書士をお役立てください。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div></div>
- ~まずは正しい情報から 「違い」を知る~
- 「安楽死と尊厳死って、違うものですか?」<div>尊厳死宣言書やリビングウィルのお話をさせていただいた際に、このようなご質問をいただくことがあります。</div><div>たしかに、どちらも耳にすることはあると思いますが、どう違うのか、言葉だけで判断するのは難しいところです。</div><div><br></div><div>この二つには明確な違いがあります。</div><div><br></div><div>まずは「安楽死」</div><div>これは、耐え難い苦痛を持つご本人の要請、要望により、医師が直接薬物を投与したり(注射や点滴など)あるいは、医師が処方した死に至らしめる薬物をご本人自身が体に取り込む(内服など)ことにより起こった「死」です。</div><div>まだ命の最終段階ではない、生きている・生きる状態にある方に対し、医師が、「死」を早める・迎えるための措置をとることで、結果的にその方の命を終わらせるものです。</div><div>この「安楽死」は、「生きている方の命を止める」という観点から、携わった医師が殺人罪などの罪に問われた案件もあり、一般的に日本では認められていません。</div><div><br></div><div>次に「尊厳死」</div><div>これは、病気やケガにより死が目前に迫っている場合や、意識のない状態が長く続いた場合に、ご本人が元気なうちに示していた希望や意思に基づいて、死期を引き延ばすためだけの医療措置を受けないで、時間の経過、自然な流れのままに受け入れる「死」のことです。</div><div>命の瀬戸際に、これ以上の措置をしても、回復し元気になることは考えにくく、心臓が止まるのを免れるだけ、という場面での選択肢の一つになります。</div><div><br></div><div>安楽死に関しては、海外では、条件や制限つきで法整備されている国もあり、私は以前、長く難病を患い、その苦痛に耐えきれず何度か自殺をはかったことのある日本人の方が、安楽死を望み、海外に行かれたという出来事をメディアで知りました。同伴されたご家族はご本人に対し、最期まで生きていてほしいと望まれていましたが、ご本人の意思はかたく、「もうこれで苦しまずにすむんだよ。やっと死ねるんだよ。」と。そしてご家族に最大限のお礼を伝える姿に、涙が止まりませんでした。</div><div>生きることの希望を失うほどのご本人の苦痛、大切な家族を失いたくないご家族の心情、どちらの立場を想像しても辛く、この状況を外野がどうこう言うことは到底できないと率直に思いました。</div><div><br></div><div>尊厳死に関しては、「何としても命をつなぐ」の考えのもと、延命措置が積極的にとられていた時代もありましたが、命の終わりが迫った状況でのたくさんのチューブや機械につながれたご本人の苦痛、それを見守るご家族の心理的負担、そしてご本人様の「尊厳」を守るという観点から、変化してきています。しかし、「尊厳死」に関して、現在の日本では法整備がされていません。また、医療の現場において、「どんな状態でのどんな措置が延命にあたるのか」というのは医師の判断によるところもあり、「この措置をしたら延命」という決まりもありません。</div><div><br></div><div>人の命は、いつ、どのように、何が原因で終わりを迎えるのか、誰にも分からないことです。</div><div>しかし、「死なない人はいない」 悲しく寂しい気分になりますが、これも現実です。</div><div>私も日々の生活の中で、ふとした時に、年齢を感じることも多くなりました。子供たちも成長しそれぞれが新しい家族も持つまでに、そして、両親の老いも目に見えて感じるようになりました。</div><div>確実に時間は積み重なっています。</div><div><br></div><div>ありきたりな言葉にはなりますが…</div><div>今ある命と向き合い、一日一日を大切に。</div><div>皆様の毎日がより穏やかで豊かなものでありますように。</div>