コラム
- ~なぜ意思表示が必要なのでしょうか~
- <div>准看護師として勤めていた頃、こんな場面に立ち会ったことがあります。</div><div>急で重篤な状態に陥り、病院に運び込まれた方がいました。知らせを受けて駆け付けたご家族に、担当した医師がこんな説明をしました。<br></div><div><br></div><div>「もし、万が一の状態になった場合、延命措置はどうしますか?」</div><div><br></div><div>突然の問いかけに、ご家族は言葉に詰まり、「え、え… うーんと…」かろうじて声に出した後は、黙り込んでしまわれました。医師は、「じゃあ、とりあえず、希望しますにしますね」とだけ告げ、そのまま次の別の説明に入りました。</div><div>私はその説明を隣で聞きながら、このご家族がきちんと医師の説明を理解しているのか、そもそも耳に入ってきているのか、とても心配になった記憶があります。<br></div><div><br></div><div>自分が最後に会った時がいつもと変わらず元気だった家族が、今想像だにしなかった状況に置かれている。これはドラマ?夢?急な知らせに、「想像だにしなかった状況」に置かれるのは、決してご本人様だけではなく、そのご家族も同じです。</div><div>現実として受け止められない状況が目の前に広がっている、混乱、困惑している上に、医師から専門的な説明をされても、すぐに選択や判断ができる状態からは程遠くなるケースがほとんどだと思います。</div><div><br></div><div>私は医療従事者ですが、仕事とプライベートは別物。</div><div>現場でこんな場面を何度経験しても、実際にこの運ばれてきた患者が自分の親だったら?子供だったら?そう思うと、血の気が引く思いがします。</div><div>医療の知識が、医療には携わっていない方に比べて多少なりともあったとしても、感情まではコントロールできないものだとつくづく思います。(これはあくまでも私ことですが)<br></div><div><br></div><div>「延命措置をしない、やめる」という決断をされたご家族が、ご本人様亡き後に、本当にこれでよかったのかと、</div><div>また、</div><div>「延命措置をする、続ける」という決断をされたご家族が、ベッド上のご本人様を前に、本当にこれでよかったのかと、</div><div>ご自分がした決断がご本人にとってどうだったのか、思い悩まれる姿も、多く見てきました。</div><div><br></div><div>命に答えはないものだと思います。正解も不正解もない。</div><div>だからこそ、「ご自分の命は自分で守る、決める」</div><div>これをぜひしていただきたいのです。</div><div><br></div><div>残されたご家族が、混乱や悲しみといった中でも、「これは本人が望んだことだから」と、最後には顔を上げて決断できるよう、ぜひ、「命の最期に受ける医療」について、ご自分の気持ちや意思を形に残すことをしていただけたらと思います。</div>
- ~残される家族を大切に思えばこそ~
- <div>遺言を残すことの必要性をお話させていただく機会があると、時々こんなことをお話してくださる方がいらっしゃいます。</div><div><br></div><div>「うちは子供たちも孫も仲が良いから、もめることはないから大丈夫!」</div><div>「一緒に住んでる長男にすべて任せるって言ってあるから大丈夫!」</div><div><br></div><div>「相続」は時に、「争続」や「争族」と例えられます。しかし、これを見て、なんでもめるの?争うの?と不思議に思われる方もいらっしゃると思います。</div><div>故人様亡き後に、もめる、争いになるタイミングや原因は、いくつか潜んでいます。故人様の残された財産のうち、誰が、何を、どれだけ引き継ぐのか、これを決めていく途中で、相続人同士の意見や意向が分かれ、気が付いたら争いごとになってしまっていた、顔を見るのも、話すのもしんどい関係になってしまった、残念ですが、現実として相続ではこんな残念で悲しいことも起こりえます。</div><div><br></div><div>相続人が、何をどれだけもらうか、引き継ぐか、互いに気になる、気にするのは、当然です。故人様亡き後も、相続人の方の生活や人生は、まだまだ続きます。</div><div>お子様が小さい、介護が必要な親族と同居している、などのご事情があれば、特に経済的な余裕が少しでも欲しいと思うのが普通ですし、何よりも、相続人に認められている「相続する権利」は誰にも侵すことはできません。<br></div><div>(相続欠格や廃除等の法的なものは除く)</div><div><br></div><div>どれだけご自分から見て、「うちの家族なら大丈夫!」「子供たち同士でもめるなんてないだろう」と思っていても、実際に相続が発生した時点の相続人のそれぞれの生活の状況や考え方等は、未知数です。</div><div>残されるご家族にとっては、舵取りをしてくれていた故人様が亡くなることで、気持ちがバラバラになってしまう、路頭に迷ってしまうということもあるかもしれません。<br></div><div>また、生前に「自分に何かあったらお前に任せると、(故人様の)生前に言われていたから」と言っても、それに納得できない相続人が出てくることもあるかもしれません。</div><div><br></div><div>有効な遺言書は、残されたご家族を守る、道しるべになります。</div><div><br></div><div>法的に有効であることはもちろん、亡き後に実現される為にも残されるご家族の人生や生活を十分に考えた内容にすること、これが、遺言書を作ることの意義であり、必要なことです。</div>
- ~母の三面鏡から思うこと~
- <div>「遺産」とは、亡くなられた故人様が残されたすべての財産のことを指します。</div><div>遺産=財産、と聞くと、「お金」のイメージが強いかもしれませんが、ここでは、預貯金・現金といったお金だけではなく、故人様が残したもの、全て、が遺産となります。</div><div>「全て」なので、プラスの財産だけではなく、例えば、故人様が生前にご事情があってどなたかからお金を借りていた、とか、車をローンで支払っていた、となった場合の、マイナスの財産も含まれます。</div><div><br></div><div>私ことですが、私の母は、「私が死んでも、もめるようなだけの物なんてないから大丈夫!」とよく笑います。</div><div>しかし、私にはある心配事があります。</div><div><br></div><div>母には毎日使っている三面鏡があります。この三面鏡、母が嫁入り道具の一つとしてもってきたものらしいのですが、私よりもはるかに年上なはずなのに、とても状態がよく(昔のものはさすがですね)、使い勝手も抜群。</div><div>子供のころは、自分の容姿が三面の鏡に映し出されるのに恐怖を感じていたこともありますが、今となれば、私が欲しい、母のものの一つ。しかし、ある時、私の姉妹も同じくこれを狙っていることが判明!そして、最近では年頃になった娘が母に直接おねだりしていたことも判明!</div><div><br></div><div>将来、母に万が一があった時、この人気の三面鏡が誰のものとして引き継がれるかは分かりませんが、どうしても欲しい!と互いに誰も一歩も譲らなければ、たった一つの三面鏡の為に、姉妹や娘とけんかになるのかな、なんて心配なのです。</div><div><br></div><div>先に使わなくなるであろう母としては、「誰かが使ってくれればうれしい」くらいにしか思っていないかもしれませんが、逆に言えば、母の次の持ち主が決まらないということは、この三面鏡はその役割を果たせず、お蔵入りになってしまうかもしれないのです。それではこの三面鏡の価値は全くなくなってしまいます。母の人生のつまったものだからこそ、母への想い、母からの想いを大切につなぎつつ、使ってくれる誰かを決める必要があります。</div><div><br></div><div>これはあくまでも私ことであり、極端な例かもしれませんが、故人様が残されたすべての物には、故人様の人生がつまっています。遺産分け=遺産分割協議は、必ず相続人全員による話し合いが必要です。</div><div>そしてその話し合った内容を書面にしたものが遺産分割協議書であり、そこに相続人全員の署名・捺印(実印)がされることで、初めて有効なものとして扱われます。</div><div><br></div><div>「故人様の残した財産を、次に誰が引き継ぐのか決める」</div><div>これには、まず故人様の人生や想いに触れることが大切になるんじゃないかな、と私は思っています。</div>